釣りの何がそんなに面白いの?
釣りをしない人からすれば、たぶん一度くらいは思ったことがあるんじゃないだろうか。
朝早く起きる。
大量の道具を車に積む。
エサを買う。
渡船代を払う。
船に乗って磯へ渡る。
暑い日も寒い日も、一日中海の上で竿を出す。
それで魚が釣れない日だって普通にある。
それでもまた行く。
僕の場合、物心がつく前から釣りをしているので、もう何年やっているのか自分でもよく分からない。
そんな僕が、
「結局、釣りの何が一番好きなん?」
と聞かれたら。
たぶん答えは、
ウキが一瞬で視界から消える、あの瞬間。
そしてその直後、竿を通して魚の存在が手に伝わってくる瞬間なんだと思う。
竿を出せれば満足、というタイプではない
釣り好きの話でよくあるのが、
「釣れなくても海で竿を出せるだけで幸せ」
みたいな話。
そういう人もいると思う。
でも僕は、あんまりそのタイプではない。
そもそも僕は、目の前が太平洋という環境で育った。
祖父は漁師で、渡船屋もやっていた。
子どもの頃から海も磯も釣りも、特別なイベントではなく身近にあるものだった。
だから僕にとって、
竿を出せること自体は、そんなに特別なことじゃない。
釣りに行ったなら、やっぱり何か起きてほしい。
魚を掛けたい。
できれば釣りたい。
一日中何の反応もなく、
サシエすら取られず、
何をやっても分からないまま終わった。
そんな日は普通に面白くない。笑
「今日は魚は釣れなかったけど、綺麗な海を見られたから満足」
とは、あまりならない。
でも「釣れなかった=面白くなかった」でもない
じゃあ魚が釣れなければ全部つまらないのかというと、それも違う。
例えば、
魚は何度も掛けた。
でも全部切られた。
これは悔しい。
めちゃくちゃ悔しい。
でも、
結構楽しい。笑
狙っているグレは釣れなかった。
でも外道はバンバン掛かる。
これも、それなりに楽しめる。
つまり僕の場合、
釣果だけでその日の楽しさが決まるわけではない。
魚から何かしら反応が返ってきて、
「次どうしよう」
と考えられる状況なら面白い。
何度も掛ける。
何度も切られる。
仕掛けを考える。
やり取りを変える。
それでもまた切られる。
そして最後に、
ずっと獲れなかった一匹をとうとう仕留める。
こんな一日は最高に面白い。
逆に一日中何も起こらず、
最後の最後にたまたま一匹だけ釣れた。
もちろんその瞬間は嬉しい。
でも一日トータルで考えると、
「最高の釣りやった!」
とは僕はあまりならない。
爆釣すれば最高、でもない
たくさん釣れれば面白いのか。
これも単純ではない。
自分で状況を考えて、
仕掛けを組み立てて、
マキエとサシエを合わせて、
狙ったところで魚を食わせる。
その結果として爆釣する。
これは当然面白い。
でも、
投げたら釣れる。
また投げる。
また釣れる。
何も考えなくても釣れる。
これがずっと続くと、
たぶん途中で飽きてくる。笑
僕が好きなのは、
魚という結果だけじゃない。
そこへ辿り着くまでの過程も含めて釣りなんだと思う。
今でも、一瞬でウキが消えるとドキッとする
フカセ釣りでは、魚がサシエを食うとウキにアタリが出る。
クチブトなんかだと、
ウキがスーッと海中へ入っていくようなアタリもある。
もちろん、それも悪くない。
何十年釣りをしていても、ウキが沈めば嬉しい。
でも僕が一番好きなのは、
一瞬でウキが視界から消えるようなアタリ。
さっきまで海面にあったウキが、
次の瞬間にはいない。
あのアタリは、今でもドキッとする。
たぶん、
釣りをしていて一番楽しい瞬間かもしれない。
何十年やっても、そこは変わらない。
サイトフィッシングでは、そもそもウキを見ていない
ここまで、
「ウキが消える瞬間が一番好き」
と書いておいてなんだけど。
僕はサイトフィッシングもかなり好きだ。
そしてガチガチのサイトフィッシングをしている時は、
そもそもウキを見ていない。笑
見ているのはサシエ。
マキエの中に魚が入ってくる。
魚がどう動いているかを見る。
サシエに近づく。
そして、
食った。
その瞬間に合わせる。
ウキにアタリが出るのを待つ必要なんてない。
魚が食うところを直接見ているからだ。
見えない海の中から突然ウキが消える釣りと、
自分のサシエを魚が食う瞬間まで見て掛ける釣り。
同じフカセ釣りでも、
それぞれ違う興奮がある。
合わせた次の瞬間、魚と一本のラインで繋がる
ウキが消える。
あるいは、魚がサシエを食う。
合わせる。
そして次の瞬間、
竿に魚の重さが乗る。
僕は、この感覚が昔からめちゃくちゃ好きだ。
釣りをしない人に、
「魚を掛けた時って、何がそんなに気持ちいいん?」
と聞かれたら、説明するのはかなり難しい。
単純に重いわけではない。
ただブルブル振動しているわけでもない。
僕の感覚では、
ラインと竿を通して、魚がしっぽを振っているのが手に伝わってくる感じ。
もちろん本当に尾びれの動きを一本一本感じている、という意味ではない。
でも魚が走る。
向きを変える。
竿を叩く。
抵抗する。
その動きがラインを通り、竿を曲げて、自分の手まで返ってくる。
水の中にいる魚は見えない。
でも、
手には確実に「そこに魚がいる」という感触がある。
これが何とも言えない。
掛けた瞬間に、だいたい相手が分かることもある
長く釣りをしていると、
魚を掛けた瞬間の感触で、
「たぶんこれやな」
と分かることも増えてくる。
もちろん完璧ではない。
でも引き方や重さ、動き方なんかから、
ある程度は魚種やサイズを想像できる。
ただ、尾長は難しい。
尾長は荒い引きをすることが多い。
磯では他にも強烈に引く外道がいる。
だから、
「これ尾長ちゃうか?」
と思いながらやり取りしていても、
最後まで正体が分からないこともある。
魚が浮いてくる。
姿が見える。
そこで初めて、
「尾長や!」
となる。
これもまた面白い。
針を掛けた瞬間から取り込むまで、
見えない相手とやり取りしている時間がある。
魚を食べるために釣りをしているわけではない
僕は魚を食べる。
自分で釣ったグレも食べる。
魚の美味しい食べ方も知っているし、
釣った魚を美味しく食べることも、もちろん好きだ。
でも、
魚が食べたいから釣りに行くわけではない。
僕の場合、
食べることより圧倒的に釣ることが優先だ。
だからたまに、
「魚食べたいだけなら、スーパーで買った方が安いやん」
みたいな話を聞くと、
正直、
「そもそも何言うてんの?」
と思う。笑
魚を安く手に入れることが目的なら、
確かにスーパーで買った方がいい。
エサ代。
渡船代。
ガソリン代。
釣具代。
時間。
全部考えれば、魚屋で買った方が圧倒的に安い魚なんていくらでもある。
でも、
僕が欲しいのは魚だけじゃない。
釣りがしたい。
「YouTubeで聴けるのに、なんでライブ行くん?」と同じ
例えば音楽が好きな人がいる。
好きなアーティストのライブやフェスへ行く。
チケット代を払う。
交通費を払う。
場合によってはホテルまで取る。
そんな人に、
「その曲、YouTubeで聴けるやん。なんでわざわざライブ行くん?」
と聞く。
たぶん、
「いや、そういうことちゃうねん」
となると思う。
僕にとって釣りも、かなりそれに近い。
ライブへ行く人は、
音源を手に入れたいだけじゃない。
その場所へ行って、
目の前で演奏を見て、
音を身体で感じて、
その時間そのものを楽しみたい。
釣りも同じ。
魚という結果だけ欲しいわけではない。
僕が欲しいのは、その一連全部なんだと思う
磯へ上がる。
潮を見る。
風を見る。
マキエを入れる。
魚を見る。
仕掛けを考える。
投入する。
流す。
また考える。
そして突然、
ウキが視界から消える。
合わせる。
竿が曲がる。
ラインと竿を通して、
魚の動きが手に伝わってくる。
「何や?」
「デカいぞ。」
「尾長か?」
そう思いながらやり取りする。
魚が浮いてくる。
姿が見える。
最後にタモへ入る。
たぶん僕は、
この一連全部が好きなんだと思う。
魚を食べるのは、その結果として付いてくるもの。
もちろん釣った魚を食べるのも楽しみの一つではある。
でも、それが目的ではない。
何十年やっても、まだドキッとする
僕は物心がつく前から釣りをしている。
フカセ釣りを本格的に始めたのも中学生の頃。
これまで何匹魚を掛けたのかなんて、もう分からない。
それでも、
海面に浮いていたウキが、
一瞬で視界から消える。
あの瞬間だけは、
今でもドキッとする。
そして反射的に合わせて、
竿に魚の重さが乗った瞬間、
やっぱり楽しいと思う。
だから、
釣れない日は普通に面白くないし、
何も起きなければ普通にイライラもする。笑
それでもまた磯へ行く。
たぶん僕は、
魚が欲しくて釣りを続けているんじゃない。
また、あの瞬間を味わいたい。
結局それが、
何十年経っても僕が釣りをやめない理由なんだと思う。

