仕事ができる人が、教えるのも上手いとは限らない。
知識もある。経験もある。判断も早い。
自分でやらせたらめちゃくちゃ上手いのに、いざ誰かに教えるとなると、
「ここはこうして、次はこうして……」
で終わってしまう人もいる。
逆に、飛び抜けて仕事ができるわけじゃなくても、
「この人の説明、分かりやすいな」
と思う人もいる。
この違いって何なんやろ?
改めて考えてみると、僕が「教えるのが上手い」と感じる人には、一つ共通点がある気がする。
自分が知っている側から説明するんじゃなく、一度「知らない側」に立って、一緒に考えてくれる。
たぶん僕は、そういう人から教えてもらうのが好きなんだと思う。
「見て覚えろ」は、教えるのが下手なのか?
昔ながらの職人の世界では、
「仕事は見て覚えろ」
みたいな教え方がよくある。
でも僕は、これを単純に「教えるのが下手」とは思わない。
中には単純に、
丁寧に教えるのが面倒くさい人もいるんちゃうかな?
と思っている。笑
自分だって昔、誰かに一から丁寧に教えてもらったわけじゃない。
自分で見て、聞いて、失敗しながら覚えた。
だから、
「俺もそうやって覚えたんやから、お前も自分で覚えろよ」
となる。
気持ちは分からなくもない。
だから僕の中では、
「見て覚えろ」という教え方と、「教えるのが苦手」というのは少し違う。
僕が本当に「教えるのが苦手なんやろな」と感じるのは、むしろ別のタイプだ。
自分ではできる。でも説明できない
本人は普通にできる。
しかも上手い。
でも、
なぜそこでそうするのか。
何を見て判断しているのか。
どうなったら次の行動を変えるのか。
そこを聞くと、うまく説明できない。
たぶん長年の経験で、感覚として身についているんだと思う。
なんとなく見れば分かる。
身体が勝手に反応する。
感覚的に「こっち」と判断できる。
それ自体はすごい能力だと思う。
でも、その感覚を自分の中で論理的に整理できていないと、他人に渡すのが難しい。
「できる能力」と「教える能力」は、やっぱり別物なんだと思う。
僕は「なんで?」が分からないと気持ち悪い
僕は昔から、何かを教えてもらった時に、
「なんで?」
がかなり気になるタイプだ。
「こうしてください」
と言われれば、とりあえず一度はその通りにやる。
全く知らないことなら、何かしら理由があって、そのやり方や決まりがあるんだろうとも考える。
だから最初から、
「いや、俺のやり方の方がええやろ」
と否定するつもりはない。
まずは一回やってみる。
これは昔から意識している。
ただ、やりながら頭の中では、
「なんでこの順番なんやろ?」
「なんでこっちじゃダメなんやろ?」
「こうした方が良くない?」
とずっと考えている。
理由や理屈が分かって、自分の中にスッと落ちてくる。
そこまでいけば、今度は自分で応用できる。
だから僕自身が人に教える時も、
「こうしろ」だけで終わらせない
というのは昔から意識している。
「僕はこういう理由で、これが正解だと思う」
そもそも僕は、世の中のことって数学みたいに絶対的な正解があるものばかりじゃないと思っている。
仕事だってそうだ。
Aというやり方もある。
Bというやり方もある。
状況が変われば、昨日の正解が今日も正解とは限らない。
だから後輩に何かを教える時も、
「これが正解やから、こうしろ」
とはあまり言わない。
どちらかというと、
「俺は、こういう理由でこれが正解やと思ってる」
という言い方をすることが多い。
結論だけじゃなく、そこへ至った理由も一緒に渡す。
これはある意味、遠回しに、
「じゃあ君ならどう考える? その理由は?」
と聞いているつもりでもある。
僕の答えを、そのまま覚えてほしいわけじゃない。
理由まで理解した上で、自分なりに考えてほしい。
違う答えを持ってきてくれた方が面白い
だから、後輩が僕とは違う答えを出してきても、その理由に筋が通っていれば普通に採用する。
僕はAだと思っていた。
でも後輩はBだと言う。
話を聞いてみると、
「その考えがあったか。確かにそうやな」
となることもある。
その時点でBが絶対正解だと確信できなくても、正解である可能性があるなら積極的に試してみればいいと思う。
それで上手くいけば、僕自身の選択肢も一つ増える。
教えているつもりだったのに、結果的にはこっちが教えられている。
こういうことは結構ある。
「またそこ?」と「お、考えとるな」は全然違う
もちろん、
「分かるまで何回でも聞いてくれ」
とは思っているけど、何を何回聞かれても同じではない。笑
ものすごく基本的なことを、毎回全く同じ状態で聞かれたら、
「え? またそこ?😅」
とは思う。
でも、同じテーマについて聞いていても、質問の角度が変わってくると全然違う。
前に教えたことを踏まえて、
「じゃあ、こういう場合はどうなるんですか?」
と聞いてくる。
まだそこまで教えていない応用的なところまで突っ込んでくる。
そんな時は、
「お!考えとるな😁」
となる。
むしろ嬉しい。
僕にも答えが分からなかったら、
「ほな、一緒に考えてみよか!」
でいい。
「分からないから聞く」のと、「何も考えずに同じことを聞く」のは、やっぱり違う。
教えることで、自分の考え方も増える
人に教えるようになってから、
「教えることは自分の成長にもなる」
というのは実感する。
別に教えている途中で、
「実は俺も全然理解してなかった!」
となることが多いわけじゃない。
それよりも、後輩から違う角度の質問が飛んできた時に、
「その考えがあったか!」
となることがある。
自分一人で仕事をしていたら、たぶん考えなかったこと。
自分の中では、もう答えが出ていたこと。
そこに全く違う視点から疑問を投げられる。
すると、
「確かにそうやな」
となる。
だから教えるというのは、自分の知識を一方的に相手へ渡すだけの作業ではないんだと思う。
教えている側の考え方も増えていく。
一番ありがたいのは「知らない側」に来てくれる人
じゃあ僕自身が誰かに教えてもらうとして、どんな人が一番「教えるのが上手い」と感じるか。
知識量。
論理的思考。
言語化能力。
根気。
色々あると思う。
一つだけ選べと言われると難しい。
でも僕が一番ありがたいのは、
教えられる側、つまり「知らない側」に一緒に立って考えてくれる人。
教える側にとっては、もう当たり前になっていることがある。
でも初めてやる人にとっては、当たり前じゃない。
そこで、
「なんでこんなことも分からんの?」
となるのではなく、
「この人はいま、どこが分からないんやろ?」
と考えてくれる。
自分が初心者だった頃まで、一回戻ってきてくれる。
そういう人の説明は、やっぱり分かりやすい。
「見て覚えろ」が合う人だっている
だからといって僕は、
「見て覚えろ」
という教え方を否定するつもりもない。
むしろ、その方が成長する人だっていると思う。
何でも一から十まで説明されるより、まずやらせる。
失敗させる。
自分で考えさせる。
分からなければ聞かせる。
そうやって覚えた方が、自分で考える力が付く人もいる。
逆に、最初に理屈をある程度理解した方が、そこから一気に伸びる人もいる。
結局、相手と状況次第なんだと思う。
教え方を使い分けられる人が、一番強い
この人には、理由から説明した方がいい。
この人には、一回やらせた方がいい。
ここは失敗しても問題ないから、自分で考えさせよう。
ここは危ないから、最初から答えを教えよう。
相手と状況を見ながら、教え方を変える。
たぶん、それが一番強い。
僕自身、教えるのがめちゃくちゃ上手い人間だとは思っていない。
でも少なくとも、
「自分が分かっているから、相手も分かるはず」
とは思わないようにしている。
自分が知っていることを教える時ほど、一度そこから降りる。
相手が立っているところまで行って、
「何が分からんのやろ?」
と一緒に考える。
その上で、
僕はこう思う。君はどう思う?
と話せればいい。
教える側と教えられる側は、ずっと上下にいる必要はない。
一緒に考えていたら、教えていたはずの自分が教えられることだってある。
僕にとっては、それくらいの関係が一番面白い。

