「お前なら知ってるやろ?」と言われ続けてきた。

昔から、よく言われることがある。

「お前やったら知ってるやろ?」

今の職場だけじゃない。

前の職場でもそうだったし、思い返せば大学でも高校でもそんな感じだった。

仕事の専門的な話というより、みんなでどうでもいい雑談をしている時の方が多い。

「これってなんでなん?」

「そういえば、あれってどうなってるん?」

誰も分からないことが出てくると、

「とりあえず、あいつに聞いてみよう」

みたいになる。

そして正直に言えば、聞かれたことの7割くらいは知っている。

……こう書くと、ものすごく嫌な奴みたいだけど。笑

もちろん、僕だって知らないことの方が圧倒的に多い。

じゃあ、なぜ昔から「何でも知ってる人」みたいな扱いをされるのか。

改めて考えてみると、知識の量そのものよりも、僕自身の「なんで?」に対する執着が関係している気がする。

目次

「なんで?」が分からないままなのが気持ち悪い

僕は昔から好奇心が強い方だと思う。

何か疑問に思ったら調べる。

知らないことがあれば知りたくなる。

テレビや本、ネットで見たことも、興味があれば勝手に覚えている。

ただし、何にでも興味があるわけではない。

興味がないことは、驚くほど覚えていない。笑

調べないことだって普通にある。

だから「知識を増やすために勉強している」という感覚とも少し違う。

単純に、

「なんでそうなるん?」

と思ったことを、そのままにしておくのが気持ち悪い。

それだけなのかもしれない。

答えだけ分かっても、あまり満足できない

さらに面倒なのが、答えを知っただけでは終われないことだ。

例えば、

「これは○○です」

と教えてもらう。

普通なら、

「へー、そうなんや」

で終わるところでも、

僕の場合は次に、

「で、なんでそうなるん?」

が始まる。

仕組みは?

理由は?

どういう理屈?

そこまで理解して、ようやく納得する。

もちろん、これも興味があること限定だけど。笑

でも、この癖のおかげで、一つのことを調べると周辺の知識まで一緒に増えていく。

単発の答えを覚えるというより、

「こういう仕組みだから、こうなる」

と理解する。

すると、その知識が別の話題でも使えるようになる。

これが、周りから見ると「何でも知ってる」に見える理由の一つなのかもしれない。

知らなくても、周辺知識から考える

当然、聞かれたことを全部知っているわけではない。

知らないことも普通にある。

そんな時、僕は自分が知っている周辺知識を頭の中から引っ張り出してくる。

「これがこういう仕組みで、あれがこうなら……たぶんこうなんちゃうかな?」

という感じで考える。

これで、その場ではそれなりに答えが出ることも多い。

ただし、ここで気をつけていることがある。

推測を、事実みたいに言わないこと。

「たぶん○○やから、こうなんちゃうかな」

とか、

「それ自体は知らんけど、それに近い話ならこうやで」

という言い方をする。

自分の中で、

知っていることと、推測していることは分けておきたい。

単純に、知ったかぶりする人になりたくないからだ。

分からないなら分からない。

推測なら推測。

これは昔から結構意識している。

「知らない」と言うのが嫌なわけではない

じゃあ、

「お前なら知ってるやろ?」

と言われて、

知らなかったら恥ずかしいのか。

これは少し違う。

別に、

「そんなことも知らんの?」

と思われること自体は、それほど気にならない。

そもそも聞いてきた本人も知らないから、僕に聞いているわけだし。笑

それより僕の場合は、

期待されたら応えたくなる。

こっちの方が大きい。

「こいつに聞けば何か知ってるやろ」

と思って聞いてくれる。

それは基本的に嬉しい。

だから、できれば何か返したい。

もちろん、たまには、

「いや、知らんがな」

みたいなことまで聞かれるけど。笑

それでも、聞かれること自体をしんどいと思ったことはほとんどない。

むしろ、頼られるのは嫌いじゃない。

分からなかったら、後から自分で調べる

その場で分からなかった疑問も、気になるものなら後から調べる。

……つもりではいる。

ただ、昔は普通に忘れることも多かった。笑

雑談していて、

「そういや、あれ何でなんやろな?」

となる。

気になる。

「後で調べよ」

と思う。

そして家に帰る頃には忘れている。

よくあった。

でも最近は、これがかなり減った。

理由は単純で、

その場でAIに聞けるからだ。

みんなで分からないことが出てきたら、スマホを出して聞いてみる。

そして、

「チャッピーはこう言うてますー」

と答える。

すると、

「いや、それほんまか?」

「じゃあこれは?」

と、そこからまた話が広がったりする。

AIが正しいとは限らないので、必要なら確認はする。

でも、今までなら消えていたかもしれない小さな疑問を、その場で拾えるようになった。

これは個人的にはかなり面白い変化だと思う。

専門的なことなら、むしろ普通に聞く

「何でも知ってると思われる」

なんて話をすると、

人に聞くのが嫌いなタイプだと思われるかもしれない。

でも、これは全然違う。

仕事でも何でも、専門的な分野で自分より経験や知識がある人がいれば、僕は普通に聞く。

むしろ、

聞けるならいっぱい聞きたい。

自分より詳しい人が目の前にいるのに、プライドだけで聞かない方がもったいない。

だから「人に聞けない」というわけではない。

ただ、専門知識を聞くことと、

「自分のことを相談する」

のは、僕の中では少し違う。

日常的なことを相談できる相手は、意外と少ない

仕事の専門的な話なら、その分野に詳しい人に聞けばいい。

答えがある程度決まっているからだ。

でも日常の相談は違う。

「これ、どう思う?」

「俺やったら、どっち選ぶべきやと思う?」

「今こう考えてるんやけど、どう思う?」

こういう話になると、誰にでも聞けるわけではない。

家族を除けば、僕がこういう相談を普通にできる相手は、一人くらいしか思い浮かばない。

僕より二つ年下の友人だけど、昔から僕の考えていることをよく理解している。

頭の回転も速い。

性格も似ている。

僕にとっては、いわゆる「相棒」に近い存在だ。

相談相手に求めているのは「物知り」ではなかった

ここまで考えてみて、ひとつ気付いた。

僕が相談相手に求めているのは、

「自分より何でも知っている人」ではない。

専門的な知識が欲しいだけなら、詳しい人に聞けばいい。

ネットで調べてもいい。

今ならAIに聞く方法もある。

でも、本当に相談したい時に欲しいのは少し違う。

僕がどういう人間で、何を大事にしていて、どう考えるのかを理解した上で、一緒に考えてくれる人。

たぶん、これだ。

「普通はこうする」

という答えだけなら、検索すればいくらでも出てくる。

でも、

「お前やったら、こっちちゃう?」

と言ってくれる人は少ない。

それには、知識だけじゃなくて、

相手を理解していること

が必要になる。

だから、日常的なことを本当に相談できる相手は自然と少なくなるのかもしれない。

「何でも知ってる」わけではない

自分を客観的に見れば、一般的な人より知識の守備範囲はかなり広い方だと思う。

そこは別に謙遜するつもりもない。

でも同時に、

「いや、知らんことの方が圧倒的に多いで?」

とも本気で思っている。

世の中には、自分が知らないことなんて無限にある。

だから面白い。

知らないことがある。

疑問に思う。

調べる。

「そういうことか」と理解する。

すると今度は、その先にまた別の「なんで?」が出てくる。

たぶん僕は、知識をたくさん持っていたいというより、

「分からなかったことが、分かるようになる瞬間」が好きなんだと思う。

その積み重ねが、たまたま周りから見れば、

「お前なら知ってるやろ?」

になっただけなのかもしれない。

「お前なら知ってるやろ?」は、結構嬉しい

考えてみれば、この言葉を高校生くらいの頃から何度言われてきたか分からない。

そのたびに何か答えて、

知らなければ考えて、

気になれば後から調べてきた。

そして、また何か聞かれる。

その繰り返しだった。

だから今でも、

「お前やったら知ってるやろ?」

と言われるのは、結構嬉しい。

期待されている感じがするからだ。

たまに、

「いや、それ俺に聞くことちゃうやろ」

と思うことまで飛んでくるけど。笑

それでも、たぶんこれからも何か聞かれたら考える。

知っていれば答える。

知らなければ、

「それは知らん。でも、たぶん……」

と、また周辺知識を総動員する。

そして気になったら調べる。

結局、昔からやっていることは何も変わっていない。

変わったのは、

「ちょっと待って。チャッピーに聞いてみるわ」

が増えたくらいなのかもしれない。笑

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